なぜ日本人は英語を話せるようにならないのか?

今回は畏れ多くも大きなお題に挑戦します。

TOIECで満点取りました!とか、英語の通訳士の資格を持ってます!といった肩書きがあるわけではないので、こういうタイトルでものを書くのはちょっと恥ずかしいのですが、わたしが語学を勉強している中で常々思うことがあり筆を運んだ次第です。

何を偉そうなことを、と思われる方は以下ご遠慮ください。少しでも興味を持ってくださる方は、(長いので)見出しだけでもささっと読んでいただけると幸いです。

日本人に根強い英語への漠然としたあこがれ

わたしは会社に勤めているのですが、なにかの弾みに英語の話題になると、十中八九「英語話せるんだっけ?」と訊かれます。「はい」と答えると、これまた判を押したように同じ回答が返ってきます。すなわち、「今度おすすめの勉強法を教えてよ」というものです。

しかしわたしの経験上、「今度」はまず来ません。誰も勉強法を訊いてこないからです。わたしはいつでも相談に乗る気満々なのに。

このような定性的な経験や、やりたい習い事ランキング1位に英会話が上がるといった定量的なデータから思うに、「日本人の多くは英語を話せるようになりたいと思っているが、話せるようになるために(正しい)努力ができる人は少ない」というのが実情ではないでしょうか。

「英語を話せない」と嘆く人の6割は、圧倒的に量が足りない

ここでちょこっとわたし自身についてお話させていただくと、わたしは自称語学マニアです。英語と若干のフランス語とちょびっとのスペイン語が話せて、大学時代にはアラビア語やイタリア語、韓国語などにも手を出しました。今勉強しているのはフランス語とスペイン語のみです。英語は副業でのお仕事や、外国の友達との会話、旅行などで使用しています。

わたしが英語を学び始めたのは中学に入ってからで、幼少期を英語圏で過ごしたとか、外国へ留学した経験は一度もありません。それでもわたしは英語が話せるし、読めるし、書けます。発音もほぼ完ぺきだそうです。

それはなぜか?答えは簡単で、身を削るほど勉強して、頭がおかしくなるほど繰り返し練習したからです。どれくらいかというと、中1でアルファベットをはじめ、中2の夏には高3までのすべての文法を終わらせ、文法書は中3までに3周する。それとは別に1分~2分の英文テキストのCDをそれぞれ500回聴いては250回オーバーラッピングし、200回シャドウイングしては150回暗唱する。その結果、中3の夏時点でセンター英語は160/200点取れるようになり、本を丸々一冊暗唱できるようになっていました。

この練習が最適解ではないことに気づいたのはずっと後になってからで、今のわたしなら同じ時間でもっと効率的に習得することができると思います。しかし語学に関して言うならば、初めから効率を求めすぎてよいことは一つもありません。量は偉大です。スポーツと一緒で、基礎は反復でしか身に着きません

英語を話せないと嘆く人の6割は、単にかけている時間が圧倒的に足りません。「勉強」をしていない人ほど、つまり基礎が身に着いていない人ほど、効率に走ります。しかし基礎を身に着けるのに近道も何もありません。このフェーズに関しては自分が勉強するか、しないかだけの差です。

文法が苦手な人は左脳しか使っていない

しかし基礎を身に着ける上で、同じ時間でも成長が早い人と遅い人がいることは確かです。地頭の違いももちろんあるとは思いますが、よりも大きく影響するのは「言語に対する姿勢」ではないかと思っています。

よく「左脳は論理を司る脳、右脳は感性を司る脳」と言われますが、わたしは言語を学ぶ上で大切なのはこの両者のバランスではないかと思うのです。基礎を「勉強」するうちはどうしても左脳によってしまいがちになりますが、言語のすべてを論理的に理解しようとするのは不可能です。なぜなら言語は人間が作ったものだから。

nにあらゆる数字を当てはめることができる数学とは異なり、言語には例外がつきものです。また、言語は時代とともにものすごいスピードで変わっていくものなので、その一つひとつを「納得しないと理解できない」という姿勢でいると、なかなか次に進めません。私は日本語ネイティブですが、「くる」という動詞の未然形はどうして「くない」ではなく「こない」なの?と聞かれても答えられません。歴史を1000年さかのぼっても「来(く)」の未然形活用は「こ」です。母国語でもこうなのですから、外国語についてその言語を後天的に学ぶ者がとやかく言ってもどうにもなりません。人間が作ってきたものなのだから仕方ないとあきらめて、右脳がささやくままに「すべてをあるがままに受け入れつつ、疑問を持ち続ける」のが正しい姿勢だと思っています。

右脳でその言語のリズムをつかむ

本論からは外れますが、わたしが思う右脳を使うことのメリットについて少しご紹介できればと思います。

先ほどご紹介したわたしの鬼反復練習ですが、あとから振り返ってよかったなと思うことが2つあります。(ちなみに当時は、できるようになることが楽しくて、まったく苦だとは感じませんでした)

  1. 言語のリズムが身に着く
  2. 耳がよくなる

この2つについて以下で詳しくご説明したいと思います。

日本人が「日本人英語」を脱却できない理由

言語にはそれぞれ独特のリズムがあります。リズムというのが何かを説明するのは非常に難しいのですが、波の波形のようなイメージと、音のおさまり具合とでも言ったらよいでしょうか。

波の波形とは、英語だとイントネーションでアップダウンが非常に多い一方で、フランス語にはほとんど起伏がなかったりといった全体的な流れの雰囲気のことです(やっぱりうまく説明できない…)。

音のおさまり具合は若干説明しやすく、例えばHe’ll pick up me. ではなくHe’ll pick me up.であるということです。学校では文法的に前者は間違いだと教えられるのですが、言語というのは基本的に「話される」ものなので、人が話しやすいように常に改良されてきているものだと思っています。前者は単にそれだとおさまりが悪いので(もしくは言いにくいので)、「代名詞の場合は動詞と前置詞の間に置く」というルールが生まれたに過ぎないのではないかと思うわけです。なので、例えば「theは通常[ðə]と発音するが、母音の前では[ði]と発音する」というのも、単にそちらの方が言いやすいからそうなってるだけで、絶対にまもらなければいけない決まりではないわけです。

日本人が「日本人英語」を脱却できない一番の理由は、この言語のリズムを習得できていないからでは?と個人的に思っています。なぜ習得できないかというと、a.日本の教育は聴くことに重きを置かなすぎ、b.参考書にカタカナが振ってあるから、だと考えます。

学校で音読するときも、先生方はなぜネイティブではなく、自分のあとに続けというのでしょう?さしてうまくない先生のrepeat after meをしても、その先生並みのしゃべりしかできるようになりません。まず、ちゃんとした英語をしっかり聞く。そして自分に理解できる音とリズムに当てはめるのではなく、そもそも違うものなんだということを受け入れて、ひたすらその音とリズムが出せるように練習するのが、正しいやり方ではないでしょうか。

耳は自分で鍛えることができる

また、音は聴けば聴くほど耳が慣れてくるので、最初は聞き取れなかった小さな違いも、どんどんキャッチできるようになってきます。今でもよく記憶に残っているのが、”her” “girl” “music” “zoo”という単語です。どれも短い簡単な単語ですが、中2当時のわたしはこの4つがどうしてもCD通りに発音できず、CDのポイント再生を利用してひたすら”music”だけを300回繰り返す、といったことをしていました。ちなみにmusicとzooの難しさは口を横に広げて歯と歯の間から空気を出すかすれた[z]の音で、herとgirlは口先ではなく喉の奥音を出すのが難しかったのでした。

どれも簡単な単語なので中1のときに出会いますが、わたしがネイティブとの音の違いに気づいたのは中2になってからでした。聴けば聴くほど耳はよくなっていきます。そしてそれはほかの言語でも活きてきます。最近印象的だったのは、スウェーデン人の知り合いに言われた言葉です。スウェーデン語でありがとうは “tack”と言うらしいのですが、それを最初に教えてもらったときにわたしが聞いたまま真似して”tack”と発音すると、彼は非常に驚いていました。いわく、「一発目で『タック』と発音しない日本人に初めて会った。日本人はみな、母音のない[k]の音を聞き取れないから」だそうです。

やっぱり言葉は会話してなんぼ。それも浅く広くではなく、狭く深語く

さて、だいぶ脱線してしまいましたが話を元に戻すと、勉強量と練習量が足りている人でも話せない人はいます。それが残りの4割です。大学生までのわたしもそんな感じでした。ある程度は自分の考えていることも言えるし、きれいにも話せる。でも流暢ではない…

そんな私が自分でも急激に成長できたなと思ったのは、仕事やプライベートで英語を使って実際にコミュニケーションをし始めてからです。訳あって英語を使う機会が以前より格段に増え、対面、電話、チャット、メールなど様々な方法で英語を使うようになりました。日本語ではメールの頭に「おつかれさまです。」とか「お世話になっております。」とか書いたりしますが、それにあたるものは英語にはあるのか?あるとしたらなんというのか?それも英語でフォーマルなメールをしはじめてから知りました。会話のスピードも上がったし、相槌や反応のバリエーションも増えました。

これは旅行で使う会話では得られないことです。なんというか、日常会話ってそんなに難しくないんですよ。大学1年生の冬にパリに行ったときも、勉強を始めて8か月のフランス語でも十分通じました。広く浅く人と話すためには決まった単語とフレーズがあれば95%やり過ごせます。しかしそれだと成長できないので、何か一つのことでもいいので誰かと深く会話をした方が、言葉の幅はずっと広がります。はっきり言って最初はめちゃくちゃ疲れます。でもだからこそ身になる。

わたしはlanguage exchangeをしていて、世界各国色々な人からメッセージをいただくのですが、半数くらいの人の英語は変です。文法的におかしいのはもちろん、スペルも間違っているし、もはや意味がわからないセンテンスもあったりする。けれども彼らはとても一生懸命で前向きです。こういうとき、「言語は手段」という言葉の意味を実感します。変だけども彼らの気持ちは伝わってくるもの。

英語はしっかり勉強しているけども会話ができない、という4割の方はぜひ英語で深いことが話せる友達を一人作ってみてください。日本語が話せる人と英語で話そうとすると、どうしても気恥ずかしかったりしてうまく話せなかったり、どうしてもというときは日本語に逃げられるのでおすすめしません。

あこがれは永続的なモチベーションになりえるか

最後に、学習モチベーションについて一つ。

中学や高校の英語の先生からこのようなことを言われたことはありませんか。「英語を話せるようになるためには具体的な目標を持て」と。例えば好きな英語の歌を理解したいとか、英字新聞を読めるようになりたいとか。わたしはずっと人は具体的な目標がないと頑張れないのかと疑問を感じていたのですが、最近やっと答えが出せた気がします。

わたしは英語を習い始めたときから、なぜだかわからないけども「英語を話せる人、さらにいうなればマルチリンガー」とか「国際的な何か」というのにあこがれていました。その2つがなんだかかっこよくて、自分も英語を話せるようになって国際的な仕事がしたい、と考えていたわけです。今でもそのあこがれは根本にあると思います。

わたしの場合は具体的な目標がなくとも、その漠然とした「あこがれ」だけでここまでやってこれました。そしてわたしは、多くの日本人もそうだと思うんです。昔は英語の先生のこともあり、わたしが特殊なのか?と思った時期もありましたが、社会人になって周りの英語を話せるようになりたいという人にその理由を聞いても、明確な答えを返せる人はほとんどいませんでした。たぶんみんな一緒なんです。だけどあこがれで頑張れる人と頑張れない人がいる。

それはもうその人の性格次第なところが大きいのでわたしはどうにもアドバイスできませんが、「あこがれで頑張り続けられる人がいる」という事実は希望になりえないでしょうか。

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7年間の会社員生活ののち、2023年からフリーランス。会社員時代は年に5~8か国を旅行。フリーになってからは長期滞在で暮らすように旅行中。2023年6月バンコクに新築コンドを購入。最新の旅の写真はInstagramで投稿。

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